SWS兄弟の皆様お久しぶりです~~~~~
何故かこの造形村オヤジブログが突然休止となって、早くも1年という時間が過ぎ去ってしまいました。ご心配をいただいた皆様本当にごめんなさい。そしてありがとうございます。
随分とご無沙汰をしてしまいましたが、世界中のSWS兄弟の皆さんはお元気にお過ごしでしたでしょうか。
実は私事ではありますが、昨年2023年の9月に受けた健康診断の結果にやや怪しいところがあると指摘をされてしまいました。
そうなんです。実は約10年ほど以前から毎年受けていた健康診断のたびに「腎臓の働きが弱くなっていますよ。」と、担当の医師から告げられていました。 それなのに。
まだ若いから。との過信から、食事内容や運動不足にも無頓着のままに過ごしてきました。
それが一転・・・・・。 改めて定期的な血液と尿の検査に加えて、徹底的にMRIやCT検査を受けることになってしまいました。
そして下されたのが「右側の腎臓にがんの疑い」から、セカンドオピニオンで受けた健診でもそれは「ほぼ腎臓がん」と最終診断をされてしまいました。
「すぐにでも外科手術による摘出が良いのでは。」 となり、それを希望したところ、なんと大学病院では目下、各種内臓の手術は順番待ちというではありませんか。
そこは大きな病院ですから毎日様々な手術が行われていて、大勢の患者が各種の手術の順番を待っているということなのです。
私の場合もこの9月の検診結果を受け、その摘出手術をするには、約六ヶ月後には可能だが。 と、なってしまったのです。
「う〜〜ん。 たかが6ヶ月。されど六ヶ月。 180日間も待つのか~~~いやはや。」
以来、改めて俄に勉強が始まります。
腎臓とは何か、どの様な臓器で、どのような働きをしていて、それが故障したら一体どの様なことが起こるのか。 専門書やSNS、YouTubeなど、あらゆる資料を漁りまくる日々が続きました。
その結果、腎臓という臓器がいかに大切で重要な働きをしているのかが解ってきました。
そしてこの臓器が故障したり働きが弱ってくると、どんなことが起こるのかということも嫌というほど分かってきました。 またそれが癌にかかるとどうなるのかということも。
そしてなんと最終最悪の場合は「透析」という、血液を一旦外部の浄化装置に引き出して機械的に洗浄し、また体内に戻すという治療が必要になるというのですから恐ろしいではありませんか。
この治療が毎週3~4回、一回約4時間以上もかかるらしいのです。その間寝たきりで!!
さらには腎臓に良いこと、悪いこと、決して行ってはならないことなども判ってきました。
食品、食事、水分、運動、排尿、排泄、そして何より精神的安定の保持など、人間の健康にとって必要不可欠なことを日頃から注意して実行しておかなければならないことなど、多くの事柄が、今になって迫ってきます。
私の場合も長年、これらがすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていたのです。
悩むこと六ヶ月。 とうとうその時がやってきました。 明けて2024年3月。
手術前の各種検査が入院して行われます。 その結果、なんと今度は心臓にも懸念があるとの事が判明。 そう、不整脈が出ています。 心房細動というやっかいな奴です。定期的に心臓心房が小刻みに不規則な鼓動をするのです。これによって血液に小さな塊ができ、それが脳や肺に引っかかる恐れがあるとのことです。
早速血液が固まりにくくなる薬が処方されますが、これは外科手術に出血が止まらなくなるという悪影響を与えるため・・・。などなど玉突き状態です。
しかもその上にMRI検査からは「脊柱管狭窄症」まで発見されます。 背骨の三番に狭窄が有り、痛みや痺れの原因はこれだったのです。
でもまずは「腎臓がん」の摘出手術を優先しなければなりません。
そして3月18日、待つ事6ヶ月。とうとう手術の日がやってきました。京都府立大学付属病院手術チームでの執刀です。
手術そのものは腹部6箇所に長い金属の管子を挿入して、いわゆるロボット手術という遠隔での手術方法らしいのですが、私自身は全身麻酔のため、なんの自覚や違和感もありません。
手術前に行われる執刀チームからの解説を信じて全てを任せる他はありません。
妻がドアの向こうで手を振るのを見ながら、ベッドに寝た状態で手術室に向かいます。
いくつもの部屋の前に私と同様、何人もの患者がベッドでの行列を作っています。 手術室に入るや、大きな照明の下で、本人確認など最終点検が淡々と行われて麻酔医から手術の開始を告げられ、徐々に記憶が無くなってゆきました。
手術そのものは6時間も要したそうで、目が覚めた時は、口や腹部、そして両腕にもなにやら点滴のためか沢山のチューブが突き刺さったままになっています。
看護師からの呼びかけに声を出そうにも声が出ません。寝たままで呼吸するのがやっとの状態です。
目を覚ましたその大部屋には、私同様、手術を終えた患者のベッドがズラリと並んで不意の容体変化を診守られています。 腹部からの出血や尿を自然に排出させるため、刺さったままのチューブで寝返りどころか身動きひとつできません。 人口呼吸のための太いチューブが喉の奥まで挿入されていたのでしょうか、声が出せないのです。 喉や気管にまとわりついた痰もとれず不快なままです。
あまりにも尿意が強いので・・・・・! と、思ったら、なんと私の大事な逸物から尿道にも太いパイプが挿入されたままです! しかも粘着テープテープで腰までしっかりと固定されています。
隣に横たわっていた他の患者も同様なのか、「これはいつ取れるのか?」と、側にいた看護師に弱々しい声で尋ねています。
するとその看護師言わく「そうですね4日後には。」 ええ~~っ! 4日後!!
どうもその患者は前立腺癌を摘出したらしいので、私の場合とは違いますが、それでも目安にはなります。
そしてそのまま眠ってしまいました。
夜が明けると病院の日常が始まります。 手術後の安定が確認されたのか、個室に移された私に看護師が一言「さあ、立って歩いてください。」 ええ~~っ? まだ1日目なのにもう歩くの? 「はい。ひと昔前ならあなたの様な患者は絶対安静でしたが、現在の治療方針では手術の翌日から歩ける人は歩くのが勧められていますよ。」
ですって。そうか。そうだったのか。
1日も早く回復して仕事に戻りたいと思う私ですもの、もちろん歩きますぞ! 歩いて歩いて
こんなところから一刻も早く脱出しなければ!
んがあ~~そう意気込む私の体中には各種のパイプがあちこち刺さったままで、痛い上にぶらぶらと行動を邪魔しています。 だがしかし、歩くのです。
始終点滴袋をぶら下げたパイプ器具を頼りに、腰には排尿、排血のための小型バックが、そして大事な下腹部部分にも大きく独特の痛みと違和感絶頂を感じながら、病院中を歩け歩けです。 見渡せば同じような患者がヨタヨタとあちこちに歩いています。 負けるもんか。
でもね。そうは言っても5メートルも歩くともう疲れてしまいます。 この時期、未だ病院にはコロナウイルスの罹患を警戒して面会は一切禁止のままなので終始一人での歩行です。
昼間は外来患者があふれる待合エリアには行けません。夕方になった頃からヨタヨタと院内の廊下を歩くのです。 暖房があるとはいえ、寒々しい人気の無い廊下をひたすらヨタヨタと歩を進めます。
食事もまずはお湯の様な流動食と果物一切れから始まります。そして痛み止めと各種の薬を飲み、それを必ず看護師からの点検を受けなければなりません。
腹部のテープや排泄物の処理も欠かせません。 術後4日間ほど後からの排尿には鮮血がほとばしるほどの尿が出て驚きました。 何より辛かったのは、そうです、咳ができないのです。 小さくコンコンとやろうとしても激痛が腹部の傷跡に響くのです。 ある時など、うかつにもくしゃみがそのまま出てしまいました。「ハクション!」とやったその瞬間、なんともはやもういけません! 息もできない程の激痛が腹部から全身を襲います。 硬直したままでしばらくはただ激痛に耐えるのです。
看護師さんよ、なぜくしゃみと咳は厳禁だと初めから聞かせておいてくれないのよ!
まだある、手術の日から毎日。私の顔を見るたびに可愛い看護師さん達が「ガスはまだ?」と恥ずかしがる私に面と向かって聞いてくれます。もう、本当に医学用語の見直しが必要なのでは?
その上4日後には、股間に刺さったあのにっくきパイプも、よりによって若い女医さんが「行きますよ!」と、一気に抜いてくれたのですが、あの勝ち誇った顔と視線が忘れられません。
かなり痛かったのに「大丈夫!」と精一杯の見栄を張ってしまいましたがな。
当然、風呂にも入ることはできません。 シャワーも傷口のテープをしっかりと点検してからです。
とにかく、歩け歩け、よく寝て、気を楽に、そしてよく食べて飲んでしっかり排尿、排泄をして。
こうして二週間。 無事に退院の日を迎えることができました。担当医をはじめ、看護師さん達には本当におせわになりました。
皆さんの献身的な治療や看護、そして励ましがどれほど手術と入院生活の支えになったか測り知れません。
そして手術後の1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月の検診を経て幸い術後の悪変化もなく、こうしてまた以前通り仕事にかかれることになりました。
このまま一年後の検診で癌の転移や悪変化が無ければ一応の回復となります。
私の場合は腎臓の癌という病を得て感じること、そして考える機会に恵まれました。
皆様と同様、人間一定の歳をとると、どうしても身体のあちこちにガタや傷みが出てきます。
SWS兄弟の皆様におかれましても、どうかくれぐれも小さな変化を見逃さず、身体からのシグナルに目と耳をはじめあらゆる器官の感覚に注意して、的確な対処対応を心がけていただきますようにお願いいたします。
特に腎臓には注意と養生が必要ですよ!! 塩、リン、タンパク、アルコール、の取りすぎには!
怪鳥 SWS 1/32 Ho 229 B の襲来に待機せよ!
お待たせの「日本陸軍 戦闘機 キ100 」五式戦 最新情報
いよいよSWS 1/32 五式戦が最終段階に到達してきました。 見事に完成した基本設計から 金型製作の進行も順調に、目下続々とその試作品が到着し始めています。まさに惚れ惚れとした五式戦の姿が・・・。
んがあ~~ 実はここで安心できないのがSWSキットの開発という奴であることは皆様もご存じの通り。そうなんです。ここからが最終段階のあのきつい上り坂に差し掛かかってゆくのです。
細かくは申しませんが、もうありとあらゆる難問が次々と生まれては解消。また生まれては突き詰めるという気の遠くなるような作業が延々と続くのです。トレードオフ、あちらを立てればこちらがという例の金型のジレンマというやつです。
だが皆様。日本機ファンの皆様。あなたの期待を裏切らない「五式戦」がとうとう見えてきましたぞ。ほら、私の手のひらの上に載せられた小さなパーツからもその片鱗を感じることができるのです。
今まで誰も知らなかった内部構造やその形態も、イギリス空軍博物館のレストア作業の取材から、次々とその実態そのものを再現することができてきました。
まさに世界初、世界唯一の1/32 「五式戦」フルキットが誕生しようとしているのです。
「え? 内部構造の再現などいらない。外部だけがあれば良い。」
と、昔の私のようなことを言ってはいけませんぞ。 知的好奇心の強く大きな今の私には、どうしてもこの機体の秘密や性能や機能、その存在価値などは内部構造の探求なしには寝覚が悪いというか、釈然としない気味悪さが残ってしまうのです。
金型の開発費用からも大きな赤字は覚悟の上、あなたにもこの五式戦の存在価値を確かめ楽しんでいただきたいという、その一心で開発をしてきました。
さて、その五式戦。うまく行けば2025年末から2026年初頭頃にはあなたのお手元にお届けができるかもしれません。その日まであと少し我慢をお願いいたします。
今回は造形村の代表ともあろう私の、とんでもないブログになりましたことを何卒お許しください。
ただ、この試練を得て、ますますSWSキットの開発に意欲が湧いてきたことは確かなことであります。
また、とうとう今年には間に合いませんでしたが、ご安心ください、さらにグレードアップさせた新キット群が発売に向けて怒涛のような行列を成していますぞ。
目の肥えたあなたから、SWSキットこそは
「まるで航空機博物館レベルの完成度が楽しめる!」と、大評価をいただけるよう素晴らしい内容を目指して参ります。
どうかSWS兄弟の皆様にはくれぐれも健康に注意をして良いお年をお迎えになられます様に日本の京都からお祈りして今回のブログといたします。
それではではまた~~~!! さようなら~~~~~~
造形村 代表