しかもそれを、まるで実機を組み上げるかのような行程を経て完成させることが出来る夢のような「プラモデル」で!
そんな憧れを抱いてから一体もうどれくらいの時間が流れたでしょうか。
組み立てる事で、機体構造を学ぶことが出来、パーツを組みながら各部の構成とその働きが判る。しかも装備する兵器からそれがどのような用途用兵にあてるために設計され、製造されて配備運用されてきたのかを理解することができるレシプロ最強の戦闘機を。
エンジンが、コックピットが、ランディングギアやプロペラがなぜこのような形態をしていたのか、何故この時期にこれが実現し、なぜもろくも消え去っていったのだろうか。そんな私の夢がついに実現するときがやって参りました。
タンク152に注がれてきた焦がれるような思い、焼き付くような憧れがとうとう本当に叶う瞬間がやってきたのです。
生まれて初めて私が飛行機のプラモを目の前にしたのはまだ私が小学生の頃でした。それはマルサンという玩具メーカーのパイパーという双発の軽飛行機と、ダグラスB-66という今思えばスケールも不詳のジェット爆撃機の二機でした。ご近所のガキ仲間だった医者の息子が誰かからプレゼントされたという、当時としては見たこともないそれはそれは精密な飛行機の模型でした。
当時の小学生にとって、模型飛行機と言えば、それは檜棒と竹ヒゴと紙で作るライトプレーンがせいぜいであり、プラスチックというハイテク素材で出来た物があるなんて、もうそれだけでびっくりしてしまうほどのものでした。
カラフルな黄色のプラスチックで出来たパイパーチェロキーに渋く光る銀色のダグラスB-66。小さいけれど、その圧倒的な存在に、しばし我を忘れてしまうほどのショックを感じたことを今でもありありと思い出すことが出来ます。
もうそれからというモノは、寝ても覚めても、子供の私の頭の中をそれが占領しています。学校に行っても、教科書は飛行機の落書きだらけです。
そのあまりの中毒患者ぶりにその子は私のことを不憫と思ったのでしょう、ある日、なんとプラ模型の組み立て説明書をほい! と、私にくれたのです。
それは確か「隼」の組み立て説明書でした。当時はプラモの説明書を設計図と呼んでいましたっけ。
勿論、震えながらもうやうやしく、有り難くいただきました。
いきなり小学生に飛行機のイラストがいっぱい描かれた設計図ですよ! その日からはもうそのイラストを書きなぞるのが日課となりました。カウリング、胴体、翼に爆弾。プロペラが轟音をあげて回転しています。
以来、何時の頃からでしょうか、今でも見上げる青空の中に積乱雲があれば、その雲間からポツリポツリと機影が見えるようにさえなってきました。
中学生になれば新聞配達や牛乳配達のアルバイトも出来ます。もうその頃には、「丸」や「戦記画報」という当時バリバリの資料を求めて友人と古本屋さん巡りが始まっていました。
「大空のサムライ」や「加藤隼戦闘隊」など戦記モノに我を忘れる毎日です。航空ファンや航空情報などの専門誌からの情報も束になって少年の空への夢をかき立てます。
また当時はプラモ時代の勃興とも重なっていた時期に当たります。「少年マガジン」や「少年サンデー」など、少年誌と呼ばれた週刊雑誌にも戦記がいっぱい。軍艦や航空機が所狭しと暴れ回っています。そんなある日、いつも行く模型店のショーウインドウに見慣れない飛行機のパッケージが飾られているのを発見してしまったのです。
それは当時、模型ファンにとって高嶺の花、アメリカレベル社のスカイレイダーという艦上攻撃機の新製品パッケージでした。
空母に今まさに着艦せんとする濃紺の勇姿が鮮やかに描かれています。
爆音さえ聞こえてきそうな超絶迫力そのものの箱絵が目に突き刺さってきます。そのときの衝撃と焦燥感は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。
同じアメリカのモノグラム社のP-51マスタングも迫ってきます。
寝ても覚めてもその二機が頭の中を飛び回っています。ノートへの落書も、レシプロ機にジェット機が加わってきたのも丁度その頃からです。
世界には、もっともっと沢山の飛行機が存在することも徐々に判ってきました。日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスにソ連、各国を代表する各種各様の航空機達。そのどれもが個性一杯、そして魅力も一杯です。
優雅で美しい日本機。いかにも実用一点張りに感じるドイツ機。 豪華絢爛なアメリカ機と英国紳士そのままの英国機。無骨なソ連機も味がありますよね。どの国のどの時代の機体も、写真を見ていて飽きることがありません。
そして叶うなら何時かは自分でこんな飛行機達のプラモを作ってみたい。そんな夢のような思いが、自然に私を模型店の経営という道に導いてくれました。
模型店主の傍ら、何時の頃からか、また始まった飛行機プラモの収集も積もりつもって、その数なんと7000個までになりました。
専門誌や雑誌をはじめ、洋書やデカールやポスターや、中には本物のパーツなどが自宅のそばに建てた「ガンルーム」と呼ぶ工房にどど~ん! と鎮座している様は壮観でさえあります。
そして、あれから50年!
今、私の長年の夢、自分の会社で飛行機の模型を作る。という事が一つずつ実現しようとしています。
それがこの「SWS(スーパーウイングシリーズ)」なんです。
第一弾はまず1/32スケールで日本機「震電」が完成いたしました。
元々はフィギュアの原型を製作するために設立した造形村という造形会社の中の、メカ好きなメンバーが私の趣味に理解を示してくれ、最新の資料と考証で世界最高の震電を実現してくれました。
「魔法の素材プラスチックで飛行機の模型を作りたい。」という私の夢そのままが1/32スケールで見事に震電という「形」になりました。
しかもこの震電は、実機がそのままプラモになったかのような内容で、それまで外形でしか馴染みのなかった有名機を実に詳細に表現することに成功いたしました。励まし励まし、支えあいながら2年間の開発が続きました。その分、見応えと、作りがいのあるモデルにすることが出来たのではないかと内心ホッといたしております。
実はこの震電。その評判は国内はもとより、英国やアメリカを始め世界中の飛行機モデラーからも大絶賛をいただいております。入手することすら困難な状況にもかかわらず、実に多くの方からお褒めの言葉を頂戴いたしました。本当にありがたいことです。そして今また、私の夢の一つがついについに実現しようとしています。
それこそがSWS第二弾「蒼空の刃」ことタンクTa152なのです。
この企画の進行が始まって以来、またしても例の症状が再発です。寝ても覚めてもタンクTa152の勇姿が私の頭の中の空を飛び回るのですからたいへんです。祖国と愛する人々を護ろうと、逆落としに急降下してゆくTa152の勇姿です。
そしていよいよそのTa152の発売が間近に迫って参りました。
各部の出来の再確認やデカール、説明書、そして何より最高のTa152の再現に向けあらゆる部門、すべてのメンバーが大車輪で躍動しています。
頼もしいですねぇ~!!うれしいですねぇ~!!胸が震えて息苦しいほどの喜びが私の心を覆いつくしています。私の夢は、世界の飛行機ファンの夢でもあることを信じて疑いません。ホントウにTa152が手に入ってしまうのです!
ドイツ機ファンの皆様、Ta152ファンの皆様、どうか今すぐのご予約をいただけますよう心からご案内をさせていただきます。
造形村 代表 重田英行
商品名 | フォッケウルフ Ta152H-1 |
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発売日 | 2010年11月27日(土) |
価 格 | ¥ 9,500(税別) |
仕 様 | インジェクションプラスチックモデル ※本金型、クリア含む4色成型、要接着剤 |
パーツ数 | 182点 |
サイズ | 全長 約338mm、全高 約133mm、全幅 約452mm |
備 考 | 本商品の組立てには接着剤が必要です。 |
- 完売御礼 -