IPMSジャーナル読者の皆さんこんにちは。造形村の代表、重田英行です。
伝統と権威あるこの会報の貴重な誌面に、私の一文が掲載されるという、願ってもない機会を与えていただいたことに感謝と同時に心から光栄に思います。
さて、もうすでに私達造形村がお届けをしている「SUPER WING SERIES®」(以下、SWS)という航空機のプラスチックモデルキットを一機でも製作をされた経験がある方ならお気づきでしょうが、これらのキットにはすべて、私自身の長年の夢や希望が詰め込まれた形で企画開発をして製造され、全世界のスケールモデラーに向けて販売されています。
私が生まれ育った日本という国の諺の中に「無用の用」という言葉や「神は細部に宿る」とか、また「仕事は人の心の表現」というものがあります。それは一見、ひと目見ただけでは不要と思われるものでも、実はそれが無ければ全体の価値そのものにまで大きな影響を与えてしまうことや、ものがあるということを意味します。また工芸品の造作などで、ひとたびそれが完成してしまえば、もう二度と再び表に出ることもなく、後からは、それを制作した人にしか判らないという部分にまで気を使い、決して手を抜かないで工作や造作を施すという意味をも指したものです。
また日本には古くから「盆栽」という趣味を愛好する文化があり、今も多くの人がそれを楽しんでいます。それは小さな物は手のひらに乗るほどの陶器の器に、それが自然の中で育てば巨大な森林を作るブナやもみじ、ひのきや松という広葉樹や針葉樹の幼木を置き、その周りに苔や草や岩石を巧みに配置して、数年、数十年もの間をひたすらにハサミを入れて形をととのえ、ついには壮大な自然美や悠久の時間の流れをとどめおいて表現するという、いわば哲学の真理やその追求にも等しい、実に味わいのある趣味なのです。この他にも「茶道」や「華道」。また「弓道」や「剣道」。「柔道」など生活様式や武道などにも私達日本人には、日頃から自分自身の生き方や生き様を表現したり、またそれを律する多くの考え方や習慣があります。
さらに多くの日本人の心の底流には「武士道」というものが存在しています。これは普段は表に出ることもない私達日本人の哲学や思想や死生観なのですが、精神一到、心をこめて何かに打ち込む時には、必ずこれが思考の中心に存在しています。それは慈愛、誠実、惻隠、名誉、そして卑怯を憎み自我の持つ品格や道徳を重んじるというものです。勿論、SWSキットの開発にこそ欠かせないこの心情が「武士道精神」の反映であることは私達の誇りとするところです。WWIIあの大戦末期に出現した「カミカゼ」も、まさに「惻隠の情」という武士道精神が日本軍兵士をして、自己の命を投げ出してでも国や家族という愛するものたちを守りたいという心情の発露と行動からでした。
私が造形村という小さな模型メーカーを起こすまでの40年間を少しお話しておきましょう。それはボークスという模型専門店を開業したことから始まります。当時、結婚したばかりの妻と一緒に日本の京都市という1200年の歴史を持つ古都の市街に7坪(23.1㎡)という小さなお店が誕生しました。それを皮切りに、日本国中20を超える主要都市に、模型専門店のチェーンストアを営んできました。
ボークスを創業したのは1972年12月3日。私が25歳、妻は21歳という若い二人でした。私の長年の趣味であった、飛行機模型の商品を扱う専門店の経営がしてみたいという夢が叶った瞬間でした。ところが小さなお店のある周囲には、すでに盛業中の模型店が何軒も存在しており、飛行機の模型キットと塗料や工作道具しか無いという、一風変わった品揃えのお店だったためか、経営はとても苦しく、開店以来しばらくは毎日の食事にも事欠くような有様でした。そのうち、自分の趣味や趣向だけではとても経営などは成り立たないということを思い知り、少しずつ自動車や軍艦、そしてその頃から流行し始めたラジコン模型やアニメ関係の商品も扱うというふうに方針変更を行いながら365日。10年間もの間、年中無休の営業を続けて、なんとか支店を出すところまでお店を成長させてゆくことが出来ました。
そんな頃、当時私達のお店の主要なお客様であった少年たちが、なぜかお店にパタリと来なくなるということが起こりました。聞けば、「もう模型より面白いものが見つかったから。」というではありませんか。そうです。あの京都に本社があった任天堂というゲームメーカーが発売をし始めた「ゲームウォッチ」という小さな携帯型ゲームに子どもたちは夢中になっていたのです。それはポケットから出して、スイッチひとつで画面が現われます。模型工作のように、面倒な説明書の解読や部品の加工、その上、技術が必要な組み立てや接着工程もなく、また何時でもどこででも始められ、そして終了することができる。全く新しい遊びの要素を持った強力なライバルが出現していたのです。しかもそれは模型商品の数倍もする高価格の商品ですから、大切に扱われ、それを持っているだけで、まだ持っていないものからは憧れの対象となっていました。
そんな強力なライバルからの直撃を受けた私達のお店には、閑古鳥が鳴いています。売上どころか、お客様が全く来ないのですからもう手の打ちようもありません。その頃にはお店も数軒となっており、そこに働く社員たちもそれなりの人数になっていました。なにより私には二人の娘と長男が生まれたばかり、ここで終わってしまうわけにはゆきません。そこで私が目をつけたのが、その頃になって私達のお店の常連客だった人たちが持ち寄ってくれていた粘土で手作りされた「ゴジラ」や「怪獣」をレジンでキット化して販売をするという作戦でした。これが見事にヒットして数年後、遠く東京をはじめ日本全国にまで通信販売で販売できるところまで成長させることが出来ました。これらを私達は「ガレージキット」と呼び、今もなお多くのキットを製作して販売を続けています。
なんと1980年頃にはアメリカはワシントンDCで開催されたフィギュアーエクスポというイベントや、ロサンジェルスで開催されたマッドモデルパーティにもブース出展をして参加していたのですよ。もちろん私のことですから、怪獣やアニメ・ヒーローの開発に混ざって、WWIIのドイツ空軍機He 219、He 100、Me 262、スピットファイアーMk22やF7Uカットラスという米軍機などもレジンキットで開発をしました。が、それらはあまりにも高価で希少性が強かったのか、ほんの少ししか製造されず、またほとんど販売もされないまま製造と販売を終了してしまいました。後年、それらの懐かしいキットをわざわざ米国IPMS会場の造形村ブースに持参してくださった方があり、とても感激したことがありました。その節は本当にありがとうございました。あのときのあなたに今も私は感謝をいたしております。
その頃からでしょうか、いつの日か私も本格的な金型を使ったインジェクションキットを作ってみたいと密かに心に誓うようになりました。それが今から10年ほども前に叶うことになるとは!その頃の私達のボークスというお店には、アニメ模型やラジコンなどが主流となっており、もうスケールモデルのコーナーや、そこに並ぶ商品在庫などはほとんど無くなっていました。その上、模型メーカーからの新商品の新発売もめっきり少なくなっていました。よくよく見れば往年の有力メーカーも、すでに大半がその活動を中止や廃業となっており、金型もあちこちに転売されていることに嫌でも気付かされました。もうこのままでは私の欲しい航空機のキットは開発もされず、欲しかった機体も永遠に手に入らなくなるのでは。という漠然とした恐れや心配が、時折私の頭の中をよぎっていました。
そんな折、私の共同経営者である、妻の一言が事態を決定的なものに変えてくれることになりました。「あなたの好きなキットを好きなように開発したら良いのに。」という妻の言葉ほどその時の私を感動させ、奮い立たせたたものはありません。(これは妻には内緒ですぞ。)
「自分の好きな航空機のプラスチックモデルを好きなように開発ができるかも?」
本当かいな~~~!? もしもそれが本当なら、本当かどうか顔をつねってみたくなるような喜びが胸を締め付けます。ならば、あれもやりたい、これも欲しい、それならあいつも無ければおかしい。などと、いつしか顔はほころび、胸には動悸、そして一気に夢が実現するかもしれないのなら!と、沢山の航空機の姿が頭の中を駆け巡ります。もうプロペラやジェットの轟音までが聞こえてきます。そうなんです。あなたと同様、それまでの私も、もしも自分の手で航空機のプラスチックモデルキットを開発できるのならば…。ああもしたい、こうもしたい、いやあれこそこうあるべきだ、いやそうではなくそれは…。と、一人で夢の中をさまよっては、見果てぬ夢に独り言ちをしていたのです。
そうなんです。あなたと同様、私も今までたくさんのプラモキットを購入してきました。そしてそれらを組み立てては「うう~~ん。なんだか、どこかフォルムに納得が行かないなあ~。」とか、「明らかにこれは違うのでは?」とか、さらには自分ならこうしたい、ああしたい、と、少ない写真や手に入ったイラスト図面などを頼りにヤスリやノコギリで気になるパーツをシコシコ切断したり、またポテポテと、パテを盛ったりしてささやかなレジスタンスをして来ました。
今更言うまでもなく航空機の外形デザインとは、直線と微妙な曲線、それが立体物として美しくも複雑、時には怪奇なまでに3次元的な面の集まりというか、それはそれは微妙な要素で構成されています。故にどこからみても、それはその機体そのものにしか見えないし感じられない、まさに神秘的なまでの魅力で溢れています。資料本や実機の写真が豊富に入手できるようになればなるほどその気持が強くなるばかりです。実は私達の住む日本では、残念ながら現用機はおろかWWIIで活躍した航空機の機体など、ほんの数えるほどしか現存しておらず、また気軽に行ける航空博物館も日本全国に小さなものが数えるほどしかありません。写真も敗戦のドサクサに殆どが焼却処分されたのでしょう、不鮮明なものが残されているだけです
米国に留学していた次男の卒業記念旅行に、私のわがままで家族全員がブルーエンジェルスの曲技飛行をみたいがためにペンサコーラ基地に旅行をしたことがあります。息を呑むような素晴らしい曲技飛行に酔いしれた後、当然私達は海軍博物館にも足を伸ばしました。巨大な空間に、整然と航空機の黎明期から現代の最先端のジェット機まで、ずらりと並んだ圧巻の展示物に度肝を抜かれたのはもちろんですが、何よりも驚いたのは見学中の子供達が展示された機体(そのときはF4F)の水平尾翼をガタガタと両手で上下に動かしていることでした。驚いて周囲をよく見たら、巨大なA-1HやTBFの機体の下にも子供達が潜って遊んでいます。「おおお~~~ここは機体に触っても良いんだ!」こんな羨ましい光景を、私は今まで一度も見たことがありません。そしてしばらくたった時、そこでなにかの集会が始まるのでしょう。館内の中央に、空間をあけるために小型の機体から大勢の館員のみなさんが、掛け声よろしくみんなで建物の隅に機体を押し移動を始めたのです! 日本人家族の私達一行6人は、ただただ目を丸くしてそれを見守るだけです。もしも日本国内にこんな航空博物館が一つでも存在していたら…。と、ホテルに帰った後も暫くはそのことばかりが頭の中を占領していました。やれやれ、どこにいても私の目と頭はSWSの開発になにか活かせるものはないか。と、そんなことばかりで回っているのですからもう家族も呆れ顔です。
また多くのキットに付いている組み立て説明書も、日本語ならばまだしも、英語で書かれた物にはイラストだけが工作の頼りとならざるを得ないため、深く理解をして楽しむことが難しく、それでなくとも乏しい知識と想像力を駆使して、なんとなく工作を進める他はありません。またパーツを組み付けるにも、番号や記号が振ってあるのみで、それが一体何なのか、どういう働きをする部品や部分なのか、多くはよくわかりません。故にその組立の順序や、取り付け角度や、パーツの裏表を間違えるなどは序の口、どのパーツをどこにどうすればどの型式の機体になるのかも定かでない中での工作が進むようなことになります。色彩の指定も無いものが多く、工作に苦労した割には、なんとも怪しい完成品作品が出来上がることになります。うう~~ん。自分なら、もっと解りやすく丁寧な解説が出来るのになぁ~。と、おせっかいな気持ちが湧いてきます。
もっと言えば、私達日本のモデラーは、実物の航空機を見ることも近づくことも全くと言っていいほど乏しい環境にあるために、航空機のあの機体の内部の構造や素材やその造作、また動作や機構は一体どうなっているのだろう?という素朴な疑問にいつもぶち当たってしまいます。機体のあちこちに有る小さな膨らみや開口部に秘められたその理由や訳が理解できるようなキットがあればいいのになあ~~と、いつも胴体や主翼のパーツを眺め回しては、大きなため息が出てきます。なぜこの機体はこのような外形デザインになったのだろう? 何のためにここはこのような形になっているのだろう。 次々に発売される雑誌や資料本には、時たまそれらの透視構造図が紹介されたりはしていますが、実物の持つ迫力や、その神秘性には到底叶うはずもなく、いつも生煮えの状況に気ばかりが焦ることになります。
特に私が知りたかったのは空冷でも液冷でも、そのエンジンの懸架方法とマウント部分の形状や構造なのです。重い上に高回転するプロペラの凄まじい力をどのように受けとめ、トルクをうまくバランスさせているのかに興味が募ります。ところがその素朴な興味を解説し、解消させてくれるキットにはほとんどお目にかかれません。肝心のエンジン本体でさえ、正面から見える部分だけを部品化したものや、エンジンそのものが無いものさえあります。またプロペラそのものにも時代やお国ぶり、製造メーカーの違いや、機体の用途や用兵の違いによっても、実に沢山の型式がありますよね。SWSキットでも、レシプロ機の開発には、まず最初にこのプロペラの取材、そして形状の確認とその採寸から始めます。プロペラが正確に、そしてシャープに美しく出来ていなければ、その他がどんなによく出来ていてもどこか納得がゆかないというか、満足感が大幅に下がってしまうような気がします。しかもSWSキットではキットに付属した部品をそのまま組み付けるのではなく、最後の微調整としてモデラー自身がヤスリとペーパーで軽く磨きを入れることにより作品に「命」が与えられるように配慮がされています。
また主翼と胴体がどのような連結パーツで組み付けられているのかも見逃せないスケールモデルの見どころです。パイロットが命を預けるコックピットが収まる胴体の構造や、揚力を生む大切な主翼の構造も出来る限り表現ができないものか、いつもそんなことが開発チームの間では話題の中心となります。そしてランディングギアはどのようにして展開し、そして格納されるのか、その構造や可動方法もスケールモデルならば再現しておきたい重要な要素です。また燃料タンクの取り付け位置と形状や規模で、用兵や用途が想像できます。そしてそれが戦闘機ならば、その武装や防弾装備、装弾から排莢まで一連の動作が判るようにできれば、モデラーはそのスケールモデルを組み立てることで航空機の複雑な構造や機能を学ぶことが出来ます。
これら、時には数百というパーツが見事に組み付けられて、一機の航空機に仕上がってゆくあの醍醐味も、組み立て工作がまるで難行苦行、苦難の道であってはスケールモデルを楽しむどころではありません。最初にランナーから一つのパーツを切り出した瞬間から完成のその時まで、ワクワクドキドキの楽しさや高揚感や達成感が味わえるようなキットでなければ価値はありませんね。私達が目指したのは、まさにそんな夢がいっぱいに詰め込まれたキット。それがSWSキットなのです。
ところが万事、「何かを優先させると何かが犠牲になる。」の例えどおり、私の夢がいっぱい詰まったSWSキットは実は猛烈巨大な「金食い虫」そのものだったのです。開発が始まった当初では気づかなかった、いや、私達が金型開発についてあまりにも素人であり過ぎたばっかりに、気づくことさえできなかった、開発コストがまるで巨大な山津波のようになって襲いかかってきました。愚かにもここに来て初めて「なぜ簡素な造り」の製品が主流なのかの原因を知ったというのが本当のところだったのです。
それまで私達が商品の製造で主流としてきた、木型や粘土で造形したものを、シリコンとレジンで抜き上げて造るという簡易なガレージキットの製造手法はもうまったく使えません。全ての製造方法が根本的に別物なのです。それは一つ一つのパーツ造形の形状が深く細かく、またそれらを複雑に組み合わせて一つの物体にしてゆくためには、まず元の形となる木型かクレイモデルの制作が必要です。そしてそれをパーツに落とし込んで、正確な金型製作用の図面にしなければなりません。これがまた時間とセンスと製造上での予測と経験が必要な、まさにプロ領域の仕事なのです。その図面から銅型を作り、それを本金型という鋼鉄製の金型に作り直してゆくのです。鋼鉄を彫り込んでゆくという気の遠くなるような作業が待っています。まずそこでは金型製造に関わる難解なルールを学び、それを基準に何百というパーツに反映、使いこなしてゆかなければなりません。そしてその金型から成型、射出され、抜き出した物が正確に希望の物体に接着し加工できて完成されなくてはなりません。ところがほとんど全部のパーツが、実機の正確さや美しさを追求すればするほど「逆テーパー」という、パーツを金型から抜く事が出来なくなってしまうという造形上のジレンマに遭遇してしまうのです。
これがT-1という試作品の開発からT-5の最終段階まで短くとも2年間の長きに渡って延々と続くのですから、我ながらよく根気が続くものだと半ば呆れてしまいます。その上、困ったことに私が口を開いて夢や希望を並べる度に、金型の開発上では「スライド金型」の多用という技術が加わり、コストが急上昇するのです。これは説明書やデカール、パッケージ箱や運送用のダンボール箱の開発に至るまで共通する大きくしかも苦しい問題でした。
SWSキットの第一号「日本帝国海軍戦闘機 震電」の開発でも当初の企画から、あちこち涙を飲まざるを得ない事態が続出です。以来、最新作の「ヘンシェル Hs 129」や「F-4EJ改」までの34作品の中、問題が発生しなかったキット開発は一つとして無かったことをご報告しておきましょう。スケールモデルキットの製作には欠かせない、まるで魔法のような素材であるプラスチックも、金型の出来不出来という、いくつもの難関を超えなければ納得のできるキットは生まれてこないことを学び続けた10年間でした。そしてこれら開発過程にOKが出せたなら、できるだけ安価にモデラーに届けたいというのが私のもう一つの夢です。それにはSWSの企画や金型の設計は私達日本のメンバーが日本国内で行い、金型製作には安価でかつ良い仕事をこなしてくれる中国の協力工場に、そしてデカールやアフターパーツなどは欧州それぞれの協力会社の力をいただいてきました。
当初、SWSキットの開発費用は私の退職金を充ててやればよいくらいに、と、甘く考えていたことが恥ずかしくなってしまいます。米国とは違って、ここ日本の経営者のそれは少ない年収の3倍くらいのささやかなものが普通ですから、すぐに開発資金の枯渇という現実が襲いかかってきます。 それだけが理由では決してありませんが、世界中のIPMS会場を始め、あちこちのイベント会場に社長である私自身が出場して、参加者の皆さんのご意見を聞く無上の喜びに加えて、販売員よろしくSWSキットを皆様に進めて回るのはそのような切実な事情も実はあるのです。
とは申せ「SWSは私の夢であり、そして皆様の夢でもあります。」 私達SWS開発チームがここまで幸福な模型メーカーを今日まで続けてこられたのも、あなたをはじめ、世界中のSWSキットをコレクションしてくださった皆さんのお陰と、お礼の言葉もありません。 本当にありがとうございました。そしてこれからもますます航空機の素晴らしいプラスチックモデルキットを企画製造し、あなたに届けてまいりたいと強く念願しております。
コロナウイルスという疫病が世界を覆うという暗い毎日ですが、どうか皆様にはくれぐれも健康に注意をいただき、これからもスケールモデルという素晴らしい趣味を楽しんでいただきますよう日本の空から祈っております。
またお目にかかれるその日までお元気で さようなら。
造形村 代表 重田英行
この一文を、SWSキットの開発にご理解、ご協力を頂いたすべての皆様に感謝とともに謹んで捧げたいと思います。